ジハード
聖戦





これは実話である。



当然、このサイトの猟日誌は、
漫画ネタをパロって書くことも多いがすべて実話であるものの、
しかし、今回の体験はウソのような本当にあった猟日誌であるため、
あらかじめ念を押しておきたい。





11月16日。

猟期二日目見回り。

今日は月曜日で、私ももちろん会社があります。

いつもなら昨日の時点で罠を解除しておかねばならないのですが、
最近仕事が全然入らなくて会社も暇で開店休業状態、
仮病で休んでも何とかなりそうな状況な今日この頃だったのです。

なので罠の見回りで遅刻してもいいやー って感じです。



去年と同じ場所の、イノシシが山から田んぼへ降りてくる通り道に仕掛けた罠に動きは無かった。
しかし昨日無かった足跡が新たに刻まれているような・・・。

チッ・・・

去年のようにアライグマに邪魔さえされなければ、
通れば絶対確実にかかると思っていただけにショック・・・・



田んぼに仕掛けた罠にも変化は無かった。

まぁこれは昨日の狩猟解禁直後の深夜0時に、
雨ザーザーの中、山奥までビビっていけずに、
悔し紛れに仕掛けただけの洒落レベルのもんですのでね・・・。

やっぱ外して別に仕掛けよう。



山を下ってきて田んぼを荒らしたイノシシは、
その足で家の近くの柿畑へ向かい、そのまま山へと帰るらしかった。 
当然その帰り道にも罠をひとつ仕掛けている。

早速確認に向かった。

その仕掛け場所、イノシシの帰り道は、
家の裏の斜面に面したで、
家からの直線距離は数十メートルくらいのものである。


柿の根元を確認する。



やはり新たに荒らされているようだった。

一昨日の夜に追いかけたイノシシだろうか、
昨日も田んぼへ降りた後にここを通り山へ戻っているらしい。

くそー。腹立たしい。

この先の罠にもしかかっているならば、
すでにガサガサと音でも聞こえて、
藪も揺れたりしていいもんだろうに、
何もかかっていないということだろうか。

パジャマで藪の中に入るのも嫌だけど、
しょうがねえ確認はしないとなぁ。

と、藪のトンネルに入り込もうとすると・・・


ん? なんだ??


トンネルの奥を目を凝らしてみると、
視界の先に茶色い何かが横たわっているよう・・・


ま、まさか掛ってんのか!?


よく見えない。

私がトンネルの入り口から確認しようと、
上体を上げたり下げたり左右に動かしていると・・・・


いる! イノシシだ!!

罠に掛かって夜中に暴れて疲れて休んでいたのだろうか、
私の気配に気づいたイノシシがビクリと動き出し、
ガサガサガサバキバキッ と藪の中を私とは逆方向に逃走を図るも、
当然、罠に足を括られており、数メートルで動きが止まる。

デ、デカいな・・・・

動き出したこれまでの最大サイズのイノシシを目にして驚き、
対するこちらもろくに動きがとれない藪に仕掛けたことを後悔した。

はたして一人で仕留められるだろうか。

まずは何とかしてあの動きを止めないと、こちらも手出しはできない。


すぐに自宅へ駈け、畑で菜っ葉の虫潰しをしていた父に、
イノシシの掛かったことを伝え、止め刺しを手伝ってほしいと頼む。

「ちょっと準備してくるから待ってて。」

動きのなかったイノシシだが、人間の姿を目にしたことで身の危険を感じたのか、
藪であることも加えて、先ほどまで何も聞こえなかった山の方から、
イノシシが必死に抗う音が家まで聞こえてくる。


あの茂った場所じゃあな。
ロープを投げるわけにもいかないし・・・



藪のトンネルという限られたスペースで、
遠距離からイノシシの頭まで縄を誘導して首を括れる、
5.4mの伸縮磯網の柄を使った道具を即席で作った。

足を括った罠は竹に固定されている。
さらにこれで首を括って別の竹に固定しよう。



そして動きを封じてから、このデスブリンガーで頭をカチ割ってやろう。

ロープ、デスブリンガー、チキンナイフ、そして父に念のため農用フォークを持たせ、
再度二人でイノシシのもとへと向かい、藪のトンネルの前で父を待機させる。


私「とりあえずロープで挑戦してくんね。」


と、ロープを装備した磯網と、
デスブリンガー、チキンナイフを持ってトンネルの中へ。






ポケットからカメラを取り出し撮影する。

つにこの瞬間が訪れたのだ。
とうとう我が地を荒らす猪に、
自分の山で自らの手で引導を渡すときが。

そしてホームページを作っている人間のサガというものか、
このブレた写真に満足がいかなかった。
もっといい写真を撮らねば!

二人になったことで心に余裕ができたこともあったのだろう、
さらに父の前で格好でもつけたかったのか、さっき以上に近づこうとする私に対し、
逃げられないと判断したイノシシは、躊躇なくこちらへ捨て身の猪突猛進。


ズドザザザザ!!!

う、うおおおっっ・・・


罠に括られているためビタッと途中で停止。
威嚇だろう、地面に倒れた竹に噛み付きバキッと音を立て砕き、
近づくなといわんばかりにこちらに放ってくる。


凄まじいな・・・


同じように括られ、威嚇してくるイノシシを仕留めた経験があるとはいえ、
サイズが違うとこうも恐怖心は増すものなのか。

こっちも遊んでいる余裕は無さそうだ。

カメラを仕舞い、木刀を地面に置き、
念のためチキンナイフを保持しながら磯網を手にし、
まずはイノシシがこちらにこれる距離を見極めようと、
こちらへの突進を誘うようにユラユラ揺すり挑発しながら磯網を伸ばしていくと、
不穏な動きをする私に異変を感じとり、その思惑まで悟られたのか、
イノシシがこちらを向いた状態でバックで後ずさり、
罠に括られた状態で私からの最長の距離まで後退、そこから再び渾身のぶちかまし!


ズドドドドド!!!

再び足を括った罠のワイヤーの長さで止まった。

とその瞬間!!!

イノシシが前のめりにワンステップするように、
ありえない距離へと踏み出した。



私「え?」

猪「?」



体が硬直した。

空白の時間。

俺もビビッたが、だが当のイノシシも間違いなくアレッ?

そう思ったに違いないほどの間が、そこに感じとれた。






「切れたぁーーー!!!!」





私が仰天し声を発するとほぼ同時に、
枷の無くなったイノシシが勝機とばかりに迫ってきた。


うぉぉぉぉ 死ぬっっっ・・・・



今度はもう叫びをあげる余裕すら無かった。

磯網から手を離し、唯一の武器であるチキンナイフを、
イノシシの方へ放り捨てるように投げながら、
突進の直撃を避けようと藪に倒れこむ。

藪に突っ伏した私の横を猛然と通過しトンネルを突き進むイノシシ。




「逃げろー!!!」



父に向って叫び、慌ててトンネル越しに父の方を確認するが、
向かいゆくイノシシに対して農用フォークを構えることもせず、
逃げもせず後ろにのけぞるだけの父。

父がやられる!?

しかしイノシシは、トンネルの先に人がもう一人いるとは思わなかったのか、
父のそばに来ると瞬時に左折し斜面をくだっていく。




父談(突然逃げろって言われてもなぁ・・・。 何も出来なかったよ。
   フォークは斜面で体勢維持するのに杖代わりに使ってたし。
   仰天して状態そらすだけしかできなかった。
   いやぁー     おったまげた・・・)




思いがけない災難に見舞われるも何事もなくほっと一息したであろう父。

だが、父の元から方向転換し走り出したイノシシが向かった先にある隣の畑には、
隣のばあさまが頑張って設置した防獣ネットが張り巡らされていた。

突如そのネットの前で180度切り返し、父に対して臨戦態勢をとり、
隙あらば迷わず突進をする気満々の猪が藪の隙間から確認できた。


今度こそ父がやられる!

藪の中でほとんど腰を抜かし、
四つん這いでトンネルからのぞいていただけの私は、そこでようやく動き出す。
地面に置いていた木刀に手を伸ばしつつ上体を起こし、
藪をかき分けて父の元へ駆けつけた。


2対1

加えてこちらが斜面における上位である事もあったのか、
果たして猪がそれを理解したのだろうか、
私が父のそばに駆けつけると同時に猪はくるりと踵を返し、
張り巡らされたネット沿いに走り出した。

つい先ほどまで、迫る猪に臆し腰を抜かしていた私であったのに、
その相手が背を向けて逃げ出したのを目にした瞬間、
一転して追いかけてやるという考えが浮かんだ。


「そっち貸してー!」

持っていた木刀を父に渡し、父の抱えていた農用フォークと交換、
斜面下方を走る猪と併走するように斜面上方を全力で追いかけた。



父談(あそこでお前が駆けつけなかったらどうなってたんだろうか・・・
   それより走り出した猪も早かったけど、お前もかなり早かったな。
   よくまぁあの斜面をあれほどのスピードで・・・)




かつて山で、丸腰で猪に出くわした。
猪は逃げなかった。
初めて近くで見る猪に私は恐怖し、尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
その時の経験を除けば・・・

逆に夜中に田んぼを荒らしに来たところを、武器を片手に何度も追いかけていたが、
その都度、こちらが追えば、尻を見せて逃げるだけの猪しか私は知らなかった。

武器があり、強気に出さえすれば猪なんて・・・

そう思っていた。

一昨日の夜もまさしくその通りであったのだ。

退路さえあれば、猪はわざわざ向かって来やしない。

二度と近寄らないように駄目押しでビビらすだけ。


というよりも、ビビらされた自分が悔しくて、
追いかけることでお返ししたいだけだったのかもしれない。



猪の後を追い出した私は、その猪の走りに違和感を見出す。
罠に括られた右前足を負傷しているらしい。
罠が付いたままであるが、そのせいで足をとられているようではない。


追いつける!

そう思い自分の走る先を確認しつつイノシシにまた眼をやった時、
防除ネットに破れがあったのか、下を潜り抜けたのか、飛び越えたのか、
猪が突如として瞬間移動したかのごとく隣の畑の中に身を移していた。


ネットに囲まれた畑、袋のネズミか?

斜面を並走していた私は、
猪の入り込んだ畑に向かって斜面を滑り降りた。

網の前にやってきたもの、どうやって猪が入ったのか理解できない。
といって人の家の網を破るわけにも行かず登ることもできず、右往左往。

それに気づいた猪が走り出し、またしてもその先の網を破ったのか潜ったのか、
隣の畑から脱出、2軒となりの家の田んぼに入り込んだ。

再び猪を追いかけるも、こちらからは藪に阻まれ田んぼに降りることができない。

その藪越しに猪の姿を追うと、
藪の隙間隙間から田んぼのぬかるみに入り込んだ猪が、
足を負傷しているためか、大分走りが鈍っているのが確認できた。

このまま進むと猪は谷へ向かう。
あの走りなら、私が山道を全力で進んで谷へ迂回すれば先回りできる!

考えるよりも先に体が動くとはこのことか。
体はすでに山道を走っていた。


勝てるとは思っていない。
ただ、何かあってもこの武器さえあれば・・・

木刀と交換し所持していた農用フォークにそれだけの信頼を寄せていた。


山を抜け、谷へ。

猪が来るであろう方向へ向かって立つ。

右手は山、その山の斜面は負傷した猪がはたして登れるかどうか、
左手には川がある。
父がこちらに来ているとすれば退路は断たれており、
来た道をまた戻るとも思えない。
このままいけば猪とかならず対することとなる。

しかしあまり足場が良くない。

かつて田んぼだった谷間は、長年放置され、イノシシに荒らされ、
やはりグチョグチョと足の取られる泥濘だった。

こんなところじゃ思うように・・・


そうこう考えているうちに泥濘を跳ねるように進む猪が視界に入ってきた。



30m 20m 10m ・・・

最早、有利な地理的条件を考えてる余裕はなかった。
足を踏ん張りフォークを体の前に構え迎撃態勢を取る。

かたやイノシシは、まさかこちらが先回りしているとも思っていなかったのだろう。
間近に来るまで気付かなかった様子で、
数メートル先でようやくフォークを握り締めた私に気づいた様子で立ち止まった。


目が合った。

直後だった。

来る!


猪が猛然とこちらに向かって走り出してきた。



「やーー!!!」



これでも県大入賞経験のある剣道有段の私。
竹刀でなくとも、手にする武具に気剣体を合わせ、
相手に打ち込むそのタイミングをはかる実力を、
そこらの素人以上に持ち合わせているつもりだ。

さらにそこへ相手の突進を逆に利用して突き刺してやる気で迎え撃つ。

気合をあげ、フォークを握る手に渾身の力を入れたところに、
向かってきたイノシシの顔面がカチ合った。



カツッ!!!


か、硬っ ・・・



フォークの先端が猪の頭部にぶつかると同時にその硬さが手に伝わった。


相手の力をあまりにも見くびり過ぎていた。


恐るべき衝撃!



その頭の硬さに加えて、千葉県最強の野生獣の名の下に、
餌を求め毎夜山を超え田畑を荒らしに来るその脚力からの突進力、
かたやろくに筋力トレーニングもせず中年の道まっしぐらのこの私。

衝突とともにフォークを腕ごと押し戻され、
その自分の腕に引かれるように体ごと後方へ押され、
泥濘の中に尻もちをつかされた。


ヤ、ヤバ・・・っ


なおも猛烈な勢いで向かってくるイノシシ!

体がすくんだ。

尻もちをついた状態で起き上がることも出来ず、
襲いくるイノシシにただただガクガクと震え、
できる事は、その直撃を避けるためフォークを突き出し防御に集中するのみだった。

一度の衝突で圧倒的パワー差を思い知り、
意識は一転、攻撃から守りの一方へ。
声を出す間もなく、瞬きすらも命取りとなる、
恐怖で意識が飛びそうな瞬間だった。



や、やられる・・・!



ズガッ!


再びイノシシとフォークがぶつかりその衝撃が手に伝わり、
続けて腹部に衝撃が!

グホっ!

反射で思わず咳き込むも、
イノシシに向けた意識の線を切らすことはしなかった。

今だ!!


二度目の突進に対し、防御で突き出したフォークの爪の一本が、猪の右目に突き刺さり、
今度は押し戻されたフォークの柄が私の腹部で止まり一瞬の間ができたのだ。

逃げれるか!?

いや、刺さってなお、イノシシは体を進めることを止めようとはしない。
まさしく死に物狂い。
傷つこうとも目の前の私に攻撃を仕掛けるつもりだったのか。



無理だ・・・逃げれない!


追い詰められた野生動物はとてつもない行動に出る。
このイノシシがまさしくそうだ。

しかしそれは人間にしてもいえることだったのか。
今考えても、そのとき自分の思考回路の中で、
どのような計算がされその回答が導き出され行動に至ったのか自分でも理解できない。

私を襲うために足元まで迫っているイノシシ、
尻もち状態でもう維持しきれないことを悟った私は、
フォークを手放すと同時に体を右にそらし、
そのまま前方に向かってきた猪の首頭に抱きついた。

攻撃は最大の防御。

そんなことを考えた上での行動ではない。

捨て身の覚悟。



やるしかない。

そう思った。



今、イノシシとの間にあるモノは、
これまでもイノシシを追いかける自分の気力をいきり立たせる為に一役買っていた、
しかし、運よく目に刺さったものの、その信頼を著しく落とした農用フォークひとつ。

最早こんな武器に身をゆだねてはいられない、
心の拠り所を失った絶体絶命の恐怖心が限界点を超えて爆発した先にある、
自分のこの体一つでなんとかしなければという感情から導き出された答えだったのかもしれない。

恐怖心に打ち勝った瞬間だった。


正面に向かったところに横からのタックル。

猪からすれば思いがけない左からの加重。
おまけに右手を負傷していたことが幸運だったのだろう。
右手で踏ん張りの利かないイノシシが泥濘につんのめって腹ばいに。


勝機!

すかさず右腕で首を締め上げにかかり、左手で猪の左腕を取りにかかる。

同時に両足で胴体にカニバサミを試みるが、
泥と奴の腹の間に左足が入らない。

猪が体勢を立て直して振り落とされそうになる。


この・・・   逃がしてたまるかよ!


突然、ガチン ガチガチ と、
爆発して散り去り消えつつあった恐怖心に油を注ぎ、
決死の覚悟を決めた私に再び身震いさせるような不快音が聞こえてきた。

目に決めたフォークが外れかかり、
それを歯でガチガチと噛んでいる音だった。
なんという耳障りな音。


あれに噛まれたらタダじゃ済まない・・・。

前方に振り落とされないよう、
必死に猪の首を右手で締め上げ、左腕を左手でキメようと努力。

猪は右腕を負傷。
泥濘でスピードが落ち、私に先回りされたことからも、
耕運機の異名をとる持ち前のパワーが発揮できていないのは間違いない。

4WD駆動であるはずの猪は3輪状態。
おまけに左前足は何度も振り切られるが、
私が都度ロックを決めにかかっているため、
今は後ろ足のみの、従来の馬力を失ったほぼ2駆に近い状態である。

それなのに、体重47kgの私を身に着けたまま徐々に泥濘を進んでいく。

右足は猪の背に回したまま左足をぬかるみに踏み込んで、
全身全霊全力投球で必死にその駆動を阻止する。

しかし、はめ込んだ足が駆動に耐えられず逆に折れそうになる。

ズポっ と長靴から足がすっぽ抜けた。

間髪いれず再び足をぬかるみにはめて食いしばる。
一歩前に出たことで力が伝えやすくなった。

おまけにこの状態が猪にタックルもされず、
噛まれもしない非常に理にかなった体勢であるとともに、
ぬかるみという地理条件がこちらにとって有利な物となったことを理解する。

逃げたいが泥濘にはまり馬力を落とすイノシシと、
逃がさないために泥濘を利用している私。



そのときだった。

何故これまで助けを呼んでいないのか。

いや、目の前にいる猪との、息をつかせない、
瞬きどころか刹那の気の緩みも許されない攻防だったのだ。

自分以外の、誰かを頼る考えで動いていたならば、
すでに勝敗は決していたに違いない。
敗北の二文字で。



「おーい! 親父ー!   ナイフー! ナイフ持ってきてー!」

「おーい!」



返事はない。


「何でこねえんだ ばかやろくそやろー!!!」



とにかく助けを呼ぶとともに踏ん張るも、
次第に助けの声が怒りの声に変わっていく。

私を振り払い反撃に出るかそのまま逃げおおせるか、
噛みつきに気を配りつつしがみつきその駆動を阻止、
の、互いに全筋肉を休めずフル活動させたガチンコレスリングファイト。

意識が先走る とはこういうときにも言うのだろうか。
筋肉が悲鳴を上げ、考えに体がついてこなかったことを鮮明に覚えている。


ぜー  ぜー   ぜー


息が切れる。
必死に呼吸をしても体に酸素が追いつかない。


それは、イノシシのほうも同じだった。


猪の動きも鈍ってきた・・・。



フシュー  フシュー  フシュー。



やがて猪も足を動かすこともせずぜーぜーと息を切らすだけで、
私も力がこもらず抱きついたまま体で息をしている。

猪の腹が呼吸ともに動くのを全身で感じ、
たまに私の呼吸とイノシシの呼吸が同じリズムにシンクロした。


「フ・・・  ふふふふ・・・」


なぜこんな時に笑えたのか?

ただ「こいつも相当バテてんだなぁ」と思うと、
何故か無性に笑いたくなってしまい、親しみさえ覚えるのだった。


ここまで頑張って来たけれど、、
こちらはしがみつくのでいっぱいいっぱいの段階に。

武器と言えば運よく目に刺さったとはいえ、
はたして胴体を貫くことが出来るのかどうかさえも怪しい、
すでに振り落とされている農用フォークだけ。

相手は手負いとはいえ、千葉県最大最強の哺乳類。
非力なチョークスリーパーで落とせるわけもなく、
このまま振り落とされればなす術なしの万事休す。

そのあとは相手の気持ち次第・・・・

ここぞと、まっしぐらに山へ向かって逃げてくれるか、
あるいは、ここまで追い込んだ私に追撃せんと敵意を向けてくるか。

私のほうは、相手が何もせず逃げるという確信が持てれば、
しがみつくことなど今すぐにでも止めたい心境だった。

今さらだけど、本当にごめん。
謝るし、離れるからそのまま大人しく逃げて欲しい。

しかし、罠で負傷させ、おまけに右目まで突き刺した私の行動は、
ここで相手に自由を許したからといって、黙って許してくれるものとは思えず、
相手が私への復讐で再び向かってくることを思うと、限られた腕力でひたすらスッポンの如く喰らいつき、
自分の運命を、イノシシの気持ち如何に委ねなければならないその時が来るのを、
なんとか先延ばしする以外に道はなかった。

そんな思いの行動の中で、ふと猪の顔を見ると左目が見えた。
その瞬間、ある作戦が閃いた。

右目はフォークが刺さった。
左目も潰してやれば・・・・!

作戦がうまくいけば、この体勢をやめて離れても反撃されないし、
体力を回復し走られても、はたして無事に山へ逃げれるかどうか。


互いにバテてる今がチャンスか。

勝利への一縷の望みが見えた私のほうが、
呼吸を整え余力を振り絞ることに早くこぎつけた。

イノシシの左腕を保持することに専念させていた左手を、
おもむろにイノシシの顔面に持っていき、
ここぞとばかりに親指を目に突っ込んでやった。


再び猪が抵抗。

それを押さえ込みつつ必死に目玉を潰しにかかる。

しかし、思った以上に目玉に弾力があり、
手袋越しにグルグルと逃げ回る目玉の感触が伝わるだけで、
頭蓋骨に開いた目の窪みと目玉の間に指が滑り込んでしまい潰すに潰せない。

そんなことをされた猪の気持ちも計り知れない。

悲鳴のような叫びと共に頭を振られ指が抜けっ・・・
と思った瞬間、左手首に痛みが走った。



「イッッッ・・・・」




「このクソ野郎ーっ!!」



間髪いれずに猪の顔面を連続殴打した。

突っ込だ指を跳ね除けられその勢いで噛み付かれたらしい。

手首に痛烈な痛みが走ったが、
多少の傷の心配などしている場合じゃなかった。

痛みから生まれた怒りを剛気へと変え、
ここぞとばかりに気力で勝ろうと、
噛まれたほうの拳で目の辺りをボコボコに。







一方その頃父は・・・・

私が逃げ去るイノシシを追いかけるのを見るも、
そのあとを追ってくることもしていなかった。

ワイヤーが外れるなんていったいあいつはどんな仕掛け方をしたんだろうと疑問に思い、
トンネルの先に入り込んで調査していたらしい。


父談(そりゃ追いかけたのはみたけど、当然逃げられたと思ったよ。
   まさか追いつくなんて思いもしないだろうが。
   あんなに走って無駄な努力してんなーって・・・・)



もっともな意見だった。

そんな父だったが、ふと私の叫んでいる声が聞こえたらしい。
山を降りると車で公道沿いに声のした方向へ進んできたが、場所が特定できずにうろうろ。
おまけにエンジン音に私の声はかき消されていたようだ。

そんなときにちょうど、谷の持ち主の人が散歩に出かけるところで父と会い、
私らしい声が自分の谷から聞こえたみたいだった。 と父に知らせてくれた言う。




父「おーい 大丈夫かー。」



ち、父だ。

た、助かった・・・。




私「早く早く!!  助けてくれー!」


父「な、ななな・・ なんだーー!!!???」



父談(まさか猪につかみかかって止めてるとはな。
   いやほんと・・・  おったまげた・・・
   なんだっけ? マルチハンターだっけ?
   まぁ名乗ってもいいんじゃねえの?)

父に認められた。




私「もうダメだー! 早く早くぶったたいてくれ! 早くー!!」


これで最後だ。
父が来たことで気力がみなぎり、
まさに精神が肉体を凌駕、死力を生み出し押さえつけれた。

だが、 「まさか追いつけるわけが・・」 と思っていた父、
私が呼んでいるのもなんか見つけたんじゃないかぐらいに思っていて、まさかの手ぶらだった。

車で公道を進んで来た父、
この谷まで来るまでには川を渡ってこなければならない。
なかなかの行程。

を、再び車まで木刀を取りに戻った。
御歳70歳が心臓マヒるかの全力疾走だ。

一方で助けが来たと一時安堵し、
そこから生まれた最後の生命エネルギーを振り絞った私は、
再び消えた父が戻るまでに ・・・たぶん死ぬ と思った。マジかよもうって・・・

先ほどまでも長い時間に思えたが、
さらに時間が長く感じた。


ようやく木刀を携えやってきた父。


私「俺を打たないでよ!!!」



これまで動物をひっぱたいたことすらない父。
何かあっても俺はできない、無理だ と話していた父。

そんな父だったが、
ためらいもないように猪の頭へと木刀を振り下ろした。


父談(そりゃあんな状態に出くわしたらな・・・。
   躊躇してるわけにいかないだろう。)



カコン!

しかし、うまく頭に当たらず顔面の辺りへ。

ピギー!!  ピグー!!

猪が叫びを上げ、抵抗する。



私「もっともっともっともっと!!」


父「エイ! エイ! どうだ! どうだ! このヤロ! このヤロ!」



何度叩いても猪の意識を飛ばすことができない。

思いがけずここから軽トラまで往復全力疾走した70歳が、木刀に力がこもろうはずもない。

おまけに・・・・




ボキッ!!





父&私「折れたぁああああああ!!!!」



悪夢再び。

保存と手入れの悪かった、
高校時代に拝借した最後の素振り用木刀がつかの付近で折れてしまった。


私「はやくはやく残りでいいから!!」


すぐに折れた先を拾って再び頭の叩きに入る父。

何度目めだろうか、ようやく猪の気が遠くなっていくようで、
次第に抵抗力が落ちていく。



私「はー・・・  はー・・・   はー・・・
  もう・・・・  大丈夫みたい・・・。」


父「ふー  ふー  ふー  
  硬いな!  それに何だこの木刀は?」


私「た、助かったわ・・・  ナ、ナイフ持ってきた?」


父「いや・・・」


私「ま、まじかよ。。。 ナイフナイフ叫んでたのに・・・。」


父「いや全然聞こえなかった。 なんか叫んでるってだけで。」


私「たのむわ。このまま見とくからすぐ取ってきてもらえる?」


未だにズリズリと動き逃げようとする猪だが、
またがって覆いかぶさってるだけで止められるほどまでに弱まった。

まさかこんなことになるとは・・・。



畑沿いに近道でナイフを取りに行った父がすぐに戻ってきた。


「刺したらまた抵抗すると思うから、
 そのフォークで顔を押さえといてくれる?」


父は言われるとおりフォークを猪の口に突き立てて押さえる。

猪の背に馬乗りになった状態で私は受け取ったブレイブブレイドを右手に持ち、
猪の首に突き立てて 「やるよ せーの!」 の掛け声とともにぶっ刺した。



ブキ−! ピギー! 



最後のあがきと断末魔の叫びをあげる猪。

しかし、手負いの上にレスリングでバテバテ、
おまけにボコボコにひっぱたかれた挙句の最後の抵抗は、
二人がかりではもう一歩として進むこともできなかった。

しばらく前に知人から貰った狩猟用の大型ナイフ・ブレイブブレイドは、
農用フォークとは比べ物にならない、
これまでの猪への恨みをすべて集約したかのごとく恐ろしい切れ味で、
何の抵抗もないようにするりとイノシシの体内へ滑り込むも、
動脈から少々外れたようで、さらにナイフを押し込んで動脈を突き刺しにかかった。

どくどくと血があふれ、次第にイノシシの動きが鈍くなり、
背にまたがる私の腿から、ビクビクと全身が痙攣のように震えるのが伝わってから完全に沈黙した。


「もう・・・・大丈夫。  死んだよ・・・」


猪が息を完全に引き取ると同時に脱力、
立ち上がりもせずへたり込みしばし体から魂が抜けた。



いつも獲物を捕獲後の止め刺しの際に大小なれど感じる罪悪感が、
いったい何故だろう、まったくと言っていいほど湧き上がってこなかった。

逆に自分がやられていたかもしれない。

そう思うとただただ、今の状況に安堵する以外になかった。





猪を運ぶための運搬車を持ってくるという父を待つ。






そうだ写真ぐらい撮っておかねばと、
ポケットからカメラを取り出し写真に収める。

そして近くを流れる沢で泥を落とし手首を確認。
痛んでいるようだが、痛み以上に疲労感が凄まじくてよくわからない。
けど外傷は歯形がついているが少々皮が剥けただけで大事に至ってないようで安心。

つい一か月ほど前に新調した眼鏡が盛大に歪んでしまった。


学校の持久走より疲れた・・・。

高校の剣道部の地獄の寒稽古より疲れた・・・。


いや、違う。
そういった学校行事や部活では、私はわざと力をセーブ、
いかに周りから気付かれないよう力を出さずに時間を過ごすか、
そして逆に力を出しているように疲れ切ったように見せるかをしてうまく乗り切る、
私はそういう人間だったのだ。

そんな私が、今まで生きてきた中で、
初めて全筋肉フル活動で動かしたと思う。

このイノシシのおかげで、
たぶん今後も、おそらく死の間際に直面しなければ出しきれないような、
自らの全生命エネルギーを費やした力を知ることが出来たのだった。


動きたくない・・・。

沢沿いに大の字に寝込んで、息を整え体力回復に務めた。




どれくらい時間が経過しただろうか、
ようやくイノシシを運ぶ気力が戻り始めたというのに父がやってこない。
運搬車のエンジン音は聞こえてくるのだが・・・?

父は運搬車の操作を誤り、ぬかるみにスタックさせ動けなくなっていたという。
替わりにソリに似ている田舟を持ってやってきた。

重いイノシシだった。
二人がかりでで少しずつその巨体をずらし、どうにかこうにか田舟に乗せた。
そして田舟にくくりつけているロープを二人で並んで肩にかけ、
掛け声とともに二人同時に力を加えて引っ張る。


「せーの! ヨイショー!」


ズリ。



「せーの! ヨイショー!!」


ズリ。



お、重い。
一回で50cmくらいしか引きずれない。

しかし、ぬかるみを運搬車が進んでこれない以上、
そこまではこれで何とか運ぶしかない。


それ、それ、それ、 休憩。

それ、それ、それ、 休憩。


イノシシとの戦闘で体力が底を付き、
おまけに朝飯も食べずにエネルギー不足に陥りそうだというその時に、
谷の持ち主のおばさんが手伝いにきてくれた。

三人がかりでようやく一度にズリズリーっと引きずれるようになり、
なんとか運搬車まで運ぶことができ、自宅へと移動することがきました。





母が撮影した凱旋直後の私・・・・

グロッキー。


 家族談(とても勝者とは思えなかった。
     ほうほうの体で命からがら逃げ出した者のなり・・・)


おまけに・・・


皆「ちょっと風呂入ったほうがいいんじゃないのか?
  汚れうんぬんの前にものスゴイくさいぞ。」



そう、先ほどまで自分でも思い感じていたのだが、
田んぼの泥の中で組み合っただけではありえないほどの糞臭がぷんぷんする。
レスリングの最中に猪の奴がウンコを漏らしたようだ。

一昨年、猟中にお漏らしをしてしまった私であるが、
あれは我慢に我慢を重ねた上での不可抗力みたいなもの。

今回は、イノシシの迫力に小便をちびるどころか、
大便が漏れそうなくらい恐怖したけれども・・・

たぶん漏らしていません。
したのだとすれば、それはイノシシのほうです。
死人に口無しというわけじゃあありません。



皆「ところで我々そろそろ出かけないと・・・」


時刻8時。 もうそんな時間か。

・・・もう会社休むか・・・


私「行く前に写真撮ってくれる?」






手こずらせてくれたわほんと。

しかしまぁよく仕留めることができたと思う。


そしてシャワーを浴び、皆は出かけてしまい、
取っておいてくれた飯を食べながら今後への課題を考えながら、
食べ終わったら解体を始めようと理性では思いつつも、
本能が、空っぽになったエネルギーを流れ込んだ食物から取り込み全細胞へ送り込もうと、
胃袋をアクセル全開で始動し脳への血流を遮断、筋肉の骨休めに努めたようだ。

飯を食い終わると食卓についたまま、
意識が遠のきしばしの眠りに入ってしまった・・・・。



 追伸:
ほとんど写真を残す余裕もなく、
いつものように漫画パロを盛り込み語ろうかとも思いましたが、
いつもと違って逆に効果が薄れるのではと思いやめました。
(目潰しのシーンなどにジョジョパロを、
 そしてゴルベーザとの戦闘曲をどれほど挿入したかったことか)



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